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じゃばじゃば日記

完全自立ツッコミ型自己愛ブログ

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2024/05/03(Fri)16:31

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パンとワイン

2009/03/03(Tue)20:17

今日



俺は

かぼちゃ



食べたかった。

だから

かぼちゃの煮物



作って

食べた。

今日の

俺は

かぼちゃ



ためにあったと

言っても

過言ではない。

先日

実家に

帰ったとき

突然

親父



こんなことを

聞いてきた。

「お前は『食べるために生きる』?それとも『生きるために食べる』?」

と。

俺は

さして

迷うこともなく

「食べるために生きる」



言った。

親父は

なんやかんや

言った後

「生きるために食べるのがほんとうなんだよ」



言った。

俺も

その後

親父に

なんやかんや

反論じみた

ことを

言ったが

親父も

それ以上

何も

言わなかった。

確かに

「生きる」

選択肢



あまりにも

多様に

なりすぎた

現代(それも一部地域の話ではあるが)

では

「食べる」

という

行為は

「単なる生きるための手段」



みなされがち

かもしれない。

確かに

俺だって

食べるためだけに

仕事したり

生活

したり

しているわけではない。

それは

否定しない。

しかし

俺は

「食べる」

ということが

生きる

ということの

上で

最も

大切

なことだと思う。

人間には

文字通り

生きていくためには

なくては

ならない

3つ



欲求



ある。

性欲

食欲

睡眠欲。

この

中でも

食欲



他の2つ

とは

一線を

画している。

それは

なぜか。

それは

「食べる」

という行為



自分

以外の

生命を

奪い取る

行為に

他ならないから

である。

この

ブログ

にも

何回か

書いてきた。

生き物は

なぜ

他の

生き物の

命を

奪うことでしか

生きられないのか、

と。

だからこそ

本来は

「食べる」

という

行為

には

敬意



感謝



必要

だと

思う。

まぁ



こんなこと

言うのは

よほど

敬虔



信仰者

か、

俺みたいな

偏屈



人間

くらいだろうけど。
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No.510|ひとりごとComment(0)Trackback

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