2012/03/02(Fri)13:39
dousenara
kokomo
konomama
kaitesimaouka...
なんて。
雨降って
地
固まる。
実際
今
雨降ってますけど。
ということは
確かに
ある。
つまり
この
世界には
エネルギー
とか
物事
とかの
「流れ」
というものが
確かに
存在
して
一見
自分に
とって
マイナス
で
あると
思われる
事柄でも
もっと
大きな
流れから
見てみると
結果的に
必要
で
あったり、
そのこと
自体が
非常に
重要に
なったり
することが
あるわけ。
語弊
を
恐れずに
言うが
よく
戦争は
何も
生み出さない。
と
言うが
それは
違う。
戦争は
あまりにも
多くの
ものを
生み出してしまう。
戦争が
なければ
生まれなかった
思想や
文化、
文学
芸術
技術
そして
人
が
沢山
ある。
戦争
など
あっては
ならない
ことだが
無意味では
ない。
だからこそ
同じこと
を
繰り返しては
いけないのだが。
人間の
魂
を
より
強く
揺さぶる
のは
感動や
喜び
よりも
むしろ
悲しみ
や
憎しみ
で
あったりするのは
なぜだろうか。
そうでなければ
理性
という
「余分なもの」
を
身に着けてしまった
人間は
生きて
いけないのかも
しれない。
逆境
を
糧とし
昇華
させる
力が
なければ。
「哀しい出来事だったね」
で
終わって
しまっては
人間に
未来は
ない。
それを
吐出し
昇華する
システム
が
人間の
体には
そなわっている。
もちろん
そのまま
器が
壊れてしまうことも
多いのだろうが。
他の
動物には
それは
できない。
仲間の
死を
悲しむことは
しても
それを
プリミティブ
な
意味での
ART
に
することは
現時点では
絶対に
できない。
人生
80年。
あまり
大きすぎる
「流れ」
を
見てしまうと
ニヒリズム
に
足を
すくわれる。
ただ
ある程度は
大同小異
の
懐を
持つことは
大切
なのでは
ないだろうか。
つまり
中庸、
か?
少し
違う
気がするけど。
明日から
いよいよ
戦線復帰
です。
頑張ります。
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No.743|ひとりごと|Comment(0)|Trackback