若いときはお腹を満たすために食べる。
年をとると心も満たすために食べる。
今夜
は
いい夜だ。
何年か
前、
突然
親父に
「お前は食べるために生きるんだと思う?それとも生きるために食べるんだと思う?」
と
聞かれた
ことがある。
少し
だけ
考えた
あと
僕は
「食べるために生きる」
と
答えた。
親父は
「確かに食べるために生きなければならない時代があった。でも今は豊かになって、食べ物に困ることがほとんどなくなった。生き方が多様化した現代は生きるために食べるのが本当だと思う」
ということ
を
言った。
確かに
親父の
言っていることも
わかるし、
正しい
と
思う。
特に
親父は
インテリかぶれ
だから
そのように
思うのだろう。
でも
僕は
やっぱり
「食べる」
ということは
人間が
「生きる」
ということの
根源的な
営み
だと
思う。
本当に
おいしい
ものを
食べる
と
いうことは、
愛する
人を
愛撫
するのに
似ている。
口では
うまく
説明
できないが、
あの
満ち足りた
快感
と
幸福感
は
まさに
筆舌に
尽くしがたい
もの
が
ある。
「食べる」
ということは
他の
生き物
の
命を
奪い取って
自分の
命に
する、
ということだ。
確かに
現代では
生殖行為
を
行わずに
子孫を
残すことが
可能で
あることと
同じように、
必ずしも
生きていく
上で
口から
食物
を
取り入れる
ということを
必要と
しない。
しかし
パンが
肉に
ぶどう酒
が
血に
なった
時代から
人間
の
本質は
変わらない
と
僕は
思う。
「食べる」
ということは
天地
の
恵み
と
自分
以外の
の
命の
恵み
に
感謝
する
ということだ。
人間
は
決して
「食べる」
ということを
忘れては
ならない。
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