2009/01/11(Sun)21:59
カタカナの
ヒロシマ
や
ナガサキ
が
ある種の
特別な
意味合いが
含まれているのと
同じように、
この
ローマ字
の
【AKIRA】
にも
ある
特別な
意味が
あるといっても
いいのかも
しれない。
今日
約
12、3年
ぶりに
AKIRA
を
観た。
初めて
観たときは
単なる
SFアニメ
として
しか
観ていなかったが、
それでも
カオリの
最期の
シーン
と
博士の
「宇宙ができているというのか・・・?」
という
セリフ
だけは
鮮明に
覚えていた。
アニメ
としては
とても
すばらしい
ものでした。
1988年。
今から
約
20年前の
作品・・・?
そんなことは
まったく
感じさせない
クオリティ。
作画
音楽
構成
演出
どれを
とっても
今
世に出しても
恥ずかしくない
出来。
映画製作時
に
原作
の
マンガ
が
未完成
だったこと、
2時間
という
短い
時間で
【AKIRA】
という
作品を
表現しなければ
ならなかったこと、
等々
ふまえると、
あのような
ストーリー展開
に
なるのは
いたしかたが
ないことかと
思う。
ストーリー
云々
の
話は
おいといても
あまり
差し支えは
ないと
思う。
【AKIRA】
という
物語
が
表す
ものには
変わりがない。
「人間」
というものが
秘める
無限の
可能性
と
その
危険性。
「人間」
は
確かに
宇宙の
大局
の
流れ
を
変えうる
力を
持っているかも
しれない。
「アキラ」
は
そのまま
「人間」
に
置き換えることが
できると
思う。
原作
のなかで
ミヤコ
は
言う。
「アキラは人類の進化に曲折をもたらそうとしたのかもしれん」
と。
「人間」
という
種
そのものが
宇宙の
大局
の流れの
中で
イレギュラー
な
存在
だとしたら。
人間
が
選ぶことの出来る
宇宙
が
あるとしたら。
それには
あまりにも
大きな
力
が
必要だが、
人間は
その
可能性を
秘めている。
遺伝子の
記憶。
それは
宇宙の
記憶
でもある。
「人間」
は
母親の
子宮の
中で
僅か
10ヶ月
という
極小
の
時間で
46億年
かけて
行ってきた
進化
を
再現する。
それは
その
宇宙の
記憶
を
宿した
遺伝子
の
なせる
業なのだ。
そのような
急激な
進化
が
いつ
どのような
スイッチ
で
「人間」
に
訪れるかは
誰にも
わからない。
しかし
その
可能性は
【0】
では
ないのだ。
宇宙の
大きな、
とてつもなく
大きな
力
の
流れ
の
記憶
を
持つ
我々
「人間」
には
その
可能性が
ある。
そして
「人間」
が
「生きる」
ことの
秘密
は
そんなところに
隠されているのかも
しれない。
そう。
人間は
生きなければ
ならない。
その痛み
を
抱えた
まま。
しかし
やっぱり
アニメ
という
表現媒体
は
漫画
では
不可能な
表現が
可能に
なるから
すごいね。
クライマックス
の
あたりの
演出は
圧巻ですよ。
しかし
この
年になっても
やはり
カオリ
の
最期は
身につまされる。
テツオ
の
「カオリの痛みが流れ込んでくる・・・!」
は
10何年前
と
まったく
同じ
衝撃を
自分に
もたらした。
我々
が
今
いる
流れは
本当に
「進化」
と
言えるのか?
いや、
そもそも
進化
とは
なんぞや?
宇宙は
究極
の
状態を
目指して
流れているのか?
うーん、
ブツブツニャムニャム・・・
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No.495|ひとりごと|Comment(2)|Trackback
無題
2009/01/11(Sun)23:02
とりあえずヒロシマまでは読んだ。
ごめんウソです。
AKIRAか。
そういや、はじめてみた時からもう随分経ったな~(しみじみ)
アニメは、他のメディアより表現の幅が広いので、いつまでたっても飽きないですよね。
その分、面白いものを作りあげるのは難しいと思いますが。
それから、進化とは単なる生の結果かな?
意味なんてないんじゃないかと思うのですよ、私は。
ましてや、その先にあるものなんて皆目検討つかないですね。
なにより、与えられた命で”今”を精一杯生きることが、最も大事なことかと。
あ、別にはぐるまさんの思考を否定してるわけじゃないですからw
いくつになってもアニメスキーな、お・に・いさんのただの戯言です。
No.1|by ちか|
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