ジキルとハイド
という
映画
を
観た。
まぁ
「という」
なんて
言葉
は
まったく
必要の
ない
ほど
有名な
話
ですが。
古い
映画を
観たんですが、
すばらしい
映画
でした。
あんなに
見事に
人間の
本質
を
可視的に
描写
した
映画
が
他に
あるだろうか。
人間
ならば
誰しもが
ジキル博士
で
あり
ハイド氏
で
あるのだ。
人間
は
なぜ
同一対象
に
同時に
愛
と
破壊の衝動
を
持ちうるのか。
それは
理性
とか
本能
といった
話
からも
説明
できるかもしれない。
しかし
自分は、
前にも
言ったが、
それは
「私」
という
もの
が
根源的に
かかわっている
と
思う。
絶対的に
交わりえない
「私」
と
「他」(別にこっちも「私」でもかまわないが)。
その
宇宙開闢
以来
の
存在
の
孤独
の
秘密
を
とかない限り
人間は
永久に
愛するもの(愛するゆえに?)
を
自らの
手で
破壊しうる
存在
で
あり続けるしかない。
そんなバカな、
と
あなたは
言うかも
しれない。
しかし
人間は
文字通り
紙一重
の
存在なのだ。
その
薄っぺらい
肉体
と
精神
は
ちょっとした
スイッチ
で
用意に
狂気
へと
変わり得る。
映画
を
観ていて、
ジキル博士
が
クスリを
飲まずに
ハイド
に
なるシーン
を
観て、
この映画
の
結末
が
直感的に
浮かんだ。
一つだけ
違ったのは
ラニエル
では
なく
警官
に
撃たれた
こと
だけだった。
とても
哀しい、
身につまされる
映画
だった。
しかし
「愛してるから~」
「愛してるなら~」
という
類の
言葉
は
どんな
ナイフ
よりも
残酷
な
言葉
だと
思う。
その愛の
あまりに
強い
力の
ゆえに。
こういうこと
書くと
また
ちーさん
に
「難解」(訳:はぁ?お前何言ってんの?щ(゜Д゜Щ))
とか
言われるんだよなぁ。苦笑)
ま、
頭の
なかで
弄繰り回している
自慰的な
妄想
を
さらしてるだけなので
あんまり
気にしないで
ください。
みなしゃま。
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無題
2009/01/08(Thu)09:06
幼心に人間の二面性というのにゾクゾクワクワクして読んでいたのを覚えています
誰にでも表と裏があるんですよね
それを自身が意識し、どう付き合っていくか
大人に近づいて、より生きることが面白くなっていくのです
No.1|by シーザー|
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