じゃばじゃば日記

完全自立ツッコミ型自己愛ブログ

コーヒーを入れた時のコーヒーカップの底が見えないことに関する思索的かつ実験的な諸考察

2015/03/31(Tue)09:34

というタイトルの論文を思いついた。さわりとしては、論題にある通り、コーヒーを入れた時はカップの底が見えなくなるという所から始まり、結局主題としては何故ホットコーヒーは透明な容器に入れることはないのか、という所にあるのだが。

いや、失敬。すでにここが本筋の”さわり”でしかないのだが。

お笑い、

喜劇、

ユーモア、

 言葉は違えど、私たち人間は「おかしい」と感じるもの、楽しさ、笑い、というものを求めずにはいられない生き物である。現代ではありとあらゆるメディアを通じて私たちは「おかしい」を求め手にすることができる。いや、求める求めないに関わらず、流れ込んでくると言った方が正確かもしれない。テレビやラジオ、インターネットなど、私たちが毎日見聞きするものの中には、必ずと言っていいほど安っぽいタレントや芸人と呼ばれる人種が溢れているのもその一端であろう。

 少し話がそれたが、私たちが求める「おかしい」には様々な種類、形態、媒体が存在するが、その本質を抜き取るならば全ての「おかしい」は原則として次の二種類に分類することができる。つまり、

「バカみたいなことを大真面目にやる」



「大真面目なことをバカにする」



のどちらかである。

 先にも述べたようにどんなに私たちの「おかしい」が千差万別であり、種種雑多になろうとも、突き詰めていけばこの二種類に集約されていく。それは何故か。それは私たちが求める「おかしい」とはつまるところ、軽蔑であり、突飛であり、愚昧であり、また逸脱であるからである。つまり”普通”とは違う、ということなのである。

 だからこそ今挙げた二種類の「おかしい」の前者は愚か者と罵られ、後者は不謹慎だと叱られるか、冷たい視線を浴びせられるのである。しかし程度の違いこそあれ、私たちが「おかしい」と感じる事象や事柄の中には、逆に言えば、必ずこの二つの要素のどちらかが含まれているハズである。

 人がバナナの皮で転んだことをバカにする、人が試験に落第したことをバカにする、人が会社をクビになったことをバカにする、人が犯罪を犯したことをバカにする、人が死んだことをバカにする。例えば今挙げたのは二つの「おかしい」の後者に当たるわけだが、程度の差、とはこういうことである。人の「おかしい」の程度にはそれぞれ線引きがあることは確かである。今の例題の「バカにする」を「おかしいと感じる」と言い換えるとより分かりやすいかも知れない。

 そして、ここが日本語という言語の妙義と言わざるを得ないのだが、日本語の「おかしい」にはまた二つの意味が含まれている。これは説明を要するほどのことでもないが、もちろん、今私たちが話題にしている「おかしい」。つまり面白い、楽しい、笑える、といった意味と、「キミの言葉使いはおかしい」といった時のような、変だ、変わっている、普通じゃない、という意味だ。

 ここで賢明な諸君ならば、今私が言った、日本語の妙義ということの真意も知れよう。私は先ほど、「おかしい」ことの本質は”普通”とは違うこと、変なこと、と述べた。そしてこの「おかしい」という言葉自体の中にすでに、面白い、という意味と変だ、という意味が両方含まれているというこの合致である。

 先ほどの例文を見ているとよく分かる。「キミの言葉使いはおかしい」と言った時、文面通り、「キミ」の言葉使いの誤りを指摘しているとも受け取れるが、文脈によっては、そのような角ばった忠告ではなく、友達同士の気軽な会話の一場面とも見れるわけだ。現代風に言うなれば「キミの言葉使いはおかしい(笑)」もっと砕ければ「それおかしくね?w」や「いやいやおかしいでしょw」という感じになるのであろうか。(余談だが、今や国語辞典にもこの”w”という文字の意味が載っている時代なのである。これこそ「おかしい」か)。

 これは私の想像の範疇を超えるものではないが、元々の「おかしい」は変だ、変わっている、という意味合いで使われていたのだろう。それが人々の生活の中で使われ、研磨され、こねくり回されているうちに、変だ、と思われてることを面白い、というか、笑い飛ばしてしまう、というような風潮が生まれてきたのだろう。それは日本人特有の自虐的ユーモアの発祥とも関係があるだろう。この辺りのことを精査し、文献等を追って行けばこれはこれで「大真面目」な論文も一つ書きあがろうというものだ。

 繰り返しになるが、私たちが何を「おかしい」と感じるかの線引きはあくまでも一人一人の個人に委ねられているものである。しかし私はその「おかしい」の幅の広さが人間としての広さと必ずしも無関係とは思わないのである。”普通”である日常をどれだけ「おかしい」非日常に昇華できるかが私たちが楽しく人生を送るうえでそれなりに重要なことなのではないだろうか。

 さて、それでは私は今日も一杯のコーヒーを入れて底を覗き込むとしますか。

No.1264|ひとりごとComment(0)Trackback

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