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じゃばじゃば日記

完全自立ツッコミ型自己愛ブログ

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a balance of life

2013/10/04(Fri)22:17

踏切事故



ニュースを見て、

自らの命と

引き換えに

廃校の撤廃を

願った

少年のことを

思い出した。

確かに

女性の

行為は

尊い。

でもそれは

女性が

命を落とした

からではなくて、

勇気を

奮って

男性を助けようと

したからだろう。

その行為そのものと

女性が命を落としたことは

本来無関係の

はずだ。

「彼女は自らの命を顧みず人助けをした素晴らしい人だ」

ではなく

「彼女の勇気は素晴らしい。命を落としてしまったことは本当に残念でならない」

であるのでは

ないだろうか。

そしてその行為そのものを

形のあるものにする

ということは

その行為と等価のものを

生み出してしまう

ということだ。

その勲章そのものが

女性の行為の価値として

存在し続ける。

命を犠牲にすれば

人に褒められる、

それは価値あるものである、

という風に

考える傾向が

ほんの少しでも無いと

言えるだろうか。

女性は男性を助け

結果命を落とした。

しかし、もし女性が

男性を傍観し、

そのまま男性が

命を落としていたとしたら

どうだろうか。

人々は

「あんな状況じゃ何もできなかった。気にすることはないよ」

とは言っても

「あなたは勇気をもって自分が生きる道を選んだ。これからも幸せのために生きなさい」

という人は少ないだろう。

そして

傍観した女性に

勲章は授けられただろうか。

答えは

否であろう。

それはなぜか。

勇気をもって自ら生きる道を選ぶより、

自分の命を犠牲にして人を救う方が

「価値のある」行為であると

みなされているからだ。

少年が

命をレールの上に

投げだしても、

廃校が撤廃されることは

なかった。

もちろん現実的な理由が

あってのことだが、

「命を犠牲にすればなんとかなる」

という風潮になっては

ならない。

ましてや子供たちに

そのような考え方を

示してはならない、



考えるのは

至極当然ではないか。

尊いのは

その行為そのものであって

命を落としたこととは

無関係で

あるはずだ。
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No.1025|ひとりごとComment(0)Trackback

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