2013/01/30(Wed)15:45
会社の
人から
借りた
洋書
を
大学のころから
使っている
辞書を
片手に
引きながら
ちびちびと
読みかじって
いると
中学の時の
英語の
先生が
卒業アルバム
に
残して
くれた
言葉
を
思い出した。
Where There's a Will There's a Way
この
Will
にしても
Way
にしても
意志
と
道
という風に
言ってしまえば
それまで
だが
それだけだと
どうも
違う。
それだけでは
先生が
残してくれた
この
言葉の
迫力には
及ばない。
そう。
意味ではない。
大切なのは
意味ではない。
ニュアンス
という
言葉で
表現できるか
どうかも
よくわからないが、
この
意志は
ただの
意志では
ないし
この道
は
ただの
道では
ないだろう。
この言葉には
これから
多くの
困難と挫折
が
待ち構えている
道を
どうか
大きく
羽ばたいて
ほしいという
願い
が
込められている。
だから
この言葉は
かの有名な
BOYS BE...
という
あの
言葉
に
近い
ものを
感じている。
て、
なんで
こんなこと
書いてきた
かというと
英語の
文章。
特に
物語、
さらに
人の
感情を
描いている
文章が
多い場合、
意味
は
わかっても
その
ニュアンスが
わからないことが
多い。
結局
私の
英語力の
低さが
原因
なのだが、
さっきのような
Will
や
Way
のような
言葉は
文脈や
誰の
セリフなのか
によって
意味内容が
まったく
変わってくるので
ちょっと
大変である。
日本語ですら
言葉の
行き違い
なんてものは
日常茶飯事
で
言葉同士
の
間
というか
隙間、
意味同士の
隙間
を
なんとか
拾っていかないと
気が付くと
とんでもない
状況に
なっていたりする。
僕は
それが
苦手だ。
行間を
読むように
意味の
空白を
拾っていくのは。
母国語の
コミュニケーション
だって
最低でも
2回の
翻訳を
済まさなければ
ならない。
まずは
相手が
頭の中で
考えていることを
言葉に
するということ。
そして
それを
受け取った
自分が
さらに
自分の
頭で
その
言葉の
意味を
解釈
する
ということ。
そう。
人間同士の
コミュニケーション
に
おいて
この
「解釈」
という
概念が
が
とても
大切
だと
思う。
人は
ついつい
わかった気
相手がわかったであろう気
に
なってしまって
いるものだが、
相手の言葉が自分の思った通りの
意味なのか、
自分の言葉が相手にどう受け取られたのか
なんてことは
結局は
自己満足の
領域を
出ることは
ない。
だから
なんとなく
自分で
解釈しながら
そうだよね?
と
相手の
顔色も
伺いつつ
うわっすべりな
コミュニケーション
を
続けていくしか
ないんですね。
そんな
日本語さえ
よちよち
歩きの
状況で
外国語
で
書かれた
文章を
「理解」
しようなんざ
へそで茶を沸かすようなもんでさぁ。
旦那。
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No.908|ひとりごと|Comment(0)|Trackback